日本酒、ビール、ワイン、ヨーグルト、チーズ、味噌、しょうゆなどの発酵食品には、それぞれ独特の香りがあります。原料そのものにはなかった果実のような香り、乳製品らしい香り、熟成香などが、発酵の途中で現れることもあります。
発酵すると独特の香りが生まれるのは、酵母、乳酸菌、麹菌などの微生物が、糖・アミノ酸・脂質などを代謝し、エステル、高級アルコール、有機酸、カルボニル化合物、硫黄化合物などの揮発性成分を作るからです。さらに、原料の酵素分解や熟成中の化学反応も加わるため、香りは一つの物質ではなく、多数の成分の組み合わせとして形成されます。
香りは揮発性成分によって感じる
食品の香りは、食品中の成分が空気中へ揮発し、鼻の嗅覚受容体へ届くことで感じられます。発酵中には、微生物の代謝によって原料中には少なかった揮発性成分が増えたり、もともとあった成分の割合が変わったりします。
2023年の発酵食品の香味形成に関するレビューでは、発酵中の微生物叢の変化と、エステル、アルコール、有機酸、アルデヒドなどの香味成分の蓄積が、発酵食品特有の風味形成に大きく関わると整理されています。
つまり、「発酵の香り」という一種類の香りがあるのではありません。食品ごとに、どの微生物が優勢か、どんな原料を使うか、どの成分がどれだけ作られるかによって、香りの組み合わせが変わります。
酵母はエステルや高級アルコールを作る
酒類やパンの発酵で重要な酵母は、アルコール発酵によってエタノールと二酸化炭素を作るだけではありません。アミノ酸や脂肪酸などの代謝を通じて、香りに強く関わる成分も作ります。
代表的なのが、高級アルコールとエステルです。高級アルコールにはイソアミルアルコールやフェネチルアルコールなどがあり、エステルには酢酸イソアミルやカプロン酸エチルなどがあります。
清酒酵母の香気生成に関する日本の解説では、バナナ様の香りを持つ酢酸イソアミルや、リンゴ様の香りを持つカプロン酸エチルが清酒の吟醸香を代表する成分として示されています。これらは酵母のアミノ酸代謝や脂肪酸合成と関係しています。
ビール酵母についての海外レビューでも、高級アルコールとエステルは発酵香を構成する重要な成分であり、その生成量は酵母の代謝経路や発酵条件によって変わることが整理されています。
エステルが果実のような香りを作るのはなぜか
エステルは、アルコールと有機酸などから作られる化合物群で、少量でも強い香りを持つものがあります。
たとえば酢酸イソアミルはバナナ様、カプロン酸エチルはリンゴ様・果実様の香りとして知られています。清酒、ビール、ワインなどでは、こうしたエステルの濃度や組み合わせが華やかな香りに影響します。
ただし、エステルが多ければ多いほどおいしくなるわけではありません。香気成分にはそれぞれ感じ始める濃度があり、別の成分との組み合わせや食品の種類によって、好ましい濃度範囲は変わります。
清酒の香気成分を用いた官能評価研究でも、複数のエステルや高級アルコールが香りを強める一方、成分の組み合わせによって香味の印象が複雑に変わることが示されています。
アミノ酸の代謝からも香りが生まれる
発酵食品では、タンパク質が酵素によって分解されるとアミノ酸が増えます。酵母や細菌は、これらのアミノ酸を栄養として利用し、その代謝過程で香気成分を作ることがあります。
酵母では、ロイシンなどのアミノ酸から高級アルコールが作られるエールリッヒ経路が知られています。古くから清酒の研究でも、アミノ酸代謝によって生じる高級アルコールや、それに由来するエステルが醸造物の香気に重要であることが示されてきました。
このため、同じ酵母を使っても、原料に含まれるアミノ酸の種類や量が違えば、生成する香りの割合も変わる可能性があります。
乳酸菌も香りを作る
ヨーグルト、チーズ、漬物、サワードウなどでは、乳酸菌も重要な香りの担い手です。
乳酸菌は糖から乳酸を作りますが、同時にアセトアルデヒド、ジアセチル、酢酸、エタノールなど、さまざまな香気成分を作る菌株があります。
日本乳酸菌学会誌の総説では、乳酸菌は乳酸だけでなく多様な香り成分を生み出し、それらが発酵乳や醸造食品のフレーバーに利用されていることが紹介されています。
海外のレビューでも、乳酸発酵中の香気形成には、糖代謝だけでなく、アミノ酸代謝やクエン酸代謝など複数の経路が関わると整理されています。
そのため、「乳酸菌の香り」という一つの香りがあるわけではなく、菌種や菌株によってできる香りは大きく変わります。
麹菌は香りの材料を作る
日本酒、味噌、しょうゆなどでは、麹菌も香り形成に関わります。
麹菌はアミラーゼやプロテアーゼ、ペプチダーゼなど多くの酵素を作り、でんぷんを糖へ、タンパク質をアミノ酸やペプチドへ分解します。
これらの糖やアミノ酸は、それ自体が味に関わるだけでなく、後から働く酵母や乳酸菌の代謝材料になります。つまり麹菌は、香り成分を直接作るだけでなく、他の微生物が香気成分を作るための前駆物質を増やす役割も持ちます。
味噌やしょうゆのような複合発酵では、麹菌による分解、乳酸菌による酸生成、酵母によるアルコールや香気成分生成などが連続して起こり、複雑な香りが形成されます。
脂質の分解からも香りが生まれる
チーズや発酵肉など、脂質を多く含む食品では、脂肪の分解も香り形成に重要です。
微生物や原料由来のリパーゼによって脂質が分解されると、脂肪酸が生じます。脂肪酸そのものが香りを持つ場合もあれば、さらに代謝されてケトン、アルコール、エステルなど別の香気成分になる場合もあります。
短鎖脂肪酸は強い香りを持つものが多く、少量なら食品らしい特徴になりますが、量が多すぎると刺激臭や不快臭として感じられることがあります。
発酵食品の香りは、糖だけでなく、タンパク質や脂質の分解も含めた複数の経路で作られます。
硫黄化合物は少量でも強い香りを持つ
メチオニンやシステインなど硫黄を含むアミノ酸の代謝から、揮発性硫黄化合物が生じることがあります。
これらの成分は、非常に低い濃度でも感じられるものが多く、チーズ、ビール、ワインなどの香りに重要な役割を持つ場合があります。
一方、濃度が高くなると、ゆでた野菜、硫黄、玉ねぎなどを連想させる強いにおいとして感じられることもあります。
つまり、同じ成分でも濃度によって「特徴的な香り」にも「オフフレーバー」にもなり得ます。
発酵の香りは温度で変わる
微生物の代謝は温度の影響を受けるため、発酵温度が変われば香り成分の生成量も変わります。
温度が変わると、微生物の増殖速度だけでなく、酵素活性、アミノ酸代謝、脂肪酸代謝、エステル生成なども変化します。
ビール酵母のエステル生成に関するレビューでも、発酵温度、栄養、溶存酸素、二酸化炭素濃度、酵母株などがエステル生成量へ影響すると整理されています。
そのため、同じ原料と酵母でも、発酵温度を変えると香りの強さや種類が変わる場合があります。
酸素や栄養条件でも香りが変わる
酸素は、酵母やカビの脂質合成や増殖に関わり、結果として香気成分の生成にも影響します。
また、糖やアミノ酸、脂肪酸、ビタミン、ミネラルなど、利用できる栄養の種類と量によって微生物の代謝経路は変わります。
たとえば窒素源として利用できるアミノ酸の量が変われば、高級アルコールの生成量が変化することがあります。脂肪酸代謝が変われば、エステルの前駆物質も変わります。
発酵香は微生物の種類だけで決まるのではなく、その微生物が置かれている環境との組み合わせで作られます。
発酵時間や熟成で香りが変わる
香りは発酵開始直後から完成時まで同じではありません。
初期には原料由来の香りが強く、発酵が進むにつれて微生物由来のアルコール、有機酸、エステルなどが増えていきます。さらに熟成中には、生成した成分同士の反応や酸化、エステル化などが進み、香りのバランスが変わります。
清酒の研究でも、もろみの発酵に伴ってエステル量が変動することが示されており、香りは発酵中に動的に変化する性質を持ちます。
長期間熟成する味噌、しょうゆ、チーズなどでは、発酵後の熟成反応も香り形成に大きく関わります。
微生物同士の組み合わせで香りが複雑になる
自然発酵や伝統発酵食品では、一種類の微生物だけが働くとは限りません。
麹菌が原料を分解し、乳酸菌が酸を作り、酵母がアルコールやエステルを作るように、複数の微生物が順番に、または同時に働くことがあります。
ある微生物が作った糖、有機酸、アミノ酸、アルコールなどを、別の微生物が利用することで、新しい香気成分が生まれる場合もあります。
2023年のレビューでも、発酵中の微生物叢の遷移と代謝物の蓄積が、伝統発酵食品の特徴的な香り形成に深く関係すると整理されています。
発酵すれば必ず良い香りになるわけではない
微生物が作る揮発性成分のすべてが好ましい香りとは限りません。
同じエステルや有機酸でも濃度が高すぎると刺激的に感じることがあり、硫黄化合物や一部の脂肪酸、アルデヒドなどは、条件によって不快臭として感じられることがあります。
また、目的外の微生物が増殖すると、想定していない香りや腐敗臭が生じる可能性があります。
そのため、食品製造ではスターター菌の選択、温度、酸素、塩分、pH、発酵時間などを管理し、望ましい香気成分のバランスを作ります。
香りの強さは成分量だけで決まらない
香気成分は、含まれる量が多いものほど必ず強く感じるわけではありません。人が感じ始める濃度である「におい閾値」は成分ごとに大きく異なります。
少量でも非常に強く感じる成分がある一方、大量に含まれていても香りへの寄与が小さい成分もあります。
さらに、複数の香りが混ざると、互いに強め合ったり、隠し合ったりします。そのため、発酵食品の香りは、単に分析値を足し算しただけでは説明できない複雑な知覚です。
近年の発酵食品の香味研究でも、個々の香気成分だけでなく、成分同士の相互作用と人の知覚を合わせて評価する重要性が指摘されています。
まとめ
発酵すると独特の香りが生まれるのは、酵母、乳酸菌、麹菌などの微生物が、糖、アミノ酸、脂質などを代謝し、多様な揮発性成分を作るためです。
酵母はエステルや高級アルコール、乳酸菌はアセトアルデヒドやジアセチルなど、微生物ごとに異なる香気成分を作ります。麹菌などが原料を分解して作る糖やアミノ酸も、後続する微生物の香り生成を支えます。
さらに、温度、酸素、栄養、菌株、発酵時間、熟成、微生物同士の組み合わせによって香りの割合は変化します。したがって、発酵の香りは一つの物質から生まれるのではなく、多数の微生物代謝と化学反応が積み重なって作られる複合的な性質です。
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参考資料
- 堤浩子「清酒酵母の香気生成機構」におい・かおり環境学会誌, 2015.
- 江本英司「乳酸菌が生み出す香気とその活用」日本乳酸菌学会誌, 2013.
- The regulation of key flavor of traditional fermented food by microbial metabolism: A review. Food Chemistry X, 2023.
- Yeast: the soul of beer’s aroma—A review of flavour-active esters and higher alcohols produced by brewing yeast. Applied Microbiology and Biotechnology, 2014.

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