米、麦、トウモロコシなどの穀物には、非常に多くの揮発性成分が含まれています。ところが、私たちが感じる「その穀物らしい香り」は、含まれている成分の量を単純に足し合わせれば説明できるわけではありません。
香りへの寄与は、成分がどれだけ多いかだけでなく、どれほど低い濃度から鼻で感じ取れるか、食品の中からどれだけ空気中へ出てくるか、食べている間に口から鼻へどれだけ届くかによって大きく変わります。
結論:香りは「含有量」ではなく「鼻に届いて感じられる量」で決まる
穀物の香りが少量の揮発性成分の組み合わせで決まる主な理由は、次の四つです。
- 香気成分ごとに、人が感じ取れる最小濃度である「におい閾値」が大きく異なる
- ごく微量でも閾値が低い成分は、全体の香りに強く寄与できる
- でんぷん・たんぱく質・脂質・水との相互作用で、香気成分の放出量が変わる
- 食べるときは、鼻先から嗅ぐ香りと、口から鼻へ抜ける香りで感じ方が変わる
つまり、穀物の香りは「最も多い成分」が決めるのではなく、「鼻に届きやすく、しかも少量でも感じやすい成分」の組み合わせで形づくられます。
穀物には、なぜ多くの揮発性成分がある?
穀物には、アルデヒド、アルコール、ケトン、エステル、ピラジン、フラン、含硫化合物など、多数の揮発性成分があります。
それらは、植物が生育中に作るもの、収穫後の酵素反応で生まれるもの、脂質酸化で生じるもの、炊飯や焙煎などの加熱で生成するものなど、由来がさまざまです。
米の香りに関するレビューでは、数百種類規模の揮発性成分が報告されています。しかし、検出された成分すべてが同じ強さで香りに寄与するわけではありません。
なぜ多い成分が、必ずしも強く香るとは限らない?
人の嗅覚は、化学物質ごとに感度が異なります。
ある成分は比較的高い濃度にならないと感じられませんが、別の成分はごくわずかな量でも強く感じられます。この「感じ始める最小濃度」が、におい閾値です。
そのため、食品中に多く含まれていても閾値が高い成分は、香り全体への影響が小さい場合があります。反対に、含有量が少なくても閾値が非常に低い成分は、香りの印象を大きく左右します。
香り米の2-アセチル-1-ピロリンは、なぜ目立つ?
香り米を特徴づける代表的な香気成分が、2-アセチル-1-ピロリンです。
農林水産省の稲品種審査資料でも、玄米の香りの主な成分として2-アセチル-1-ピロリンが挙げられています。
この成分は、ポップコーンや焼いたパンのような香りとして表現されることがあり、非常に低い濃度でも感じられることで知られています。
そのため、米に含まれる揮発性成分全体の中ではごく一部でも、香り米らしい印象へ大きく寄与できます。
「香気活性」はどう考える?
香り研究では、ある成分の濃度を、その成分のにおい閾値と比較して香りへの寄与を考える方法があります。
考え方としては、濃度が閾値を大きく上回っている成分ほど、人が感じ取れる可能性が高いというものです。こうした指標は、香気活性値やOdor Activity Valueとして扱われます。
ただし、香気活性値が高い成分を機械的に並べれば食品の香りが完全に再現できるわけではありません。
成分同士の相互作用や、食品からの放出速度、嗅覚での混合知覚があるため、実際の香りはもっと複雑です。
香りは「成分の足し算」ではない
複数の香気成分を同時に嗅ぐと、個々の香りをそのまま足した印象になるとは限りません。
ある成分が別の成分を目立たせる場合もあれば、反対に感じにくくする場合もあります。単独では弱い成分が、ほかの成分と組み合わさることで特徴的な食品香を作ることもあります。
そのため、「穀物らしい香り」は一つの代表成分だけではなく、複数の主要香気成分と、それを支える周辺成分の組み合わせとして理解する必要があります。
香気成分が食品の中にあっても、鼻へ出てこなければ香らない
食品中に香気成分が存在していても、そのすべてが同じように空気中へ出てくるわけではありません。
炊飯米のような食品では、香気成分がでんぷん、たんぱく質、脂質、水と相互作用します。
Journal of Cereal Scienceのレビューでは、炊飯米の香りは、成分の生成だけでなく、米飯マトリクスからの放出や保持によっても左右されると整理されています。
つまり、分析で測った「食品中の濃度」と、実際に鼻へ届く「気相中の濃度」は同じではありません。
脂質は香りを作るだけでなく、香りを抱え込むこともある
脂質は酸化して香気成分を作る一方で、疎水性の高い揮発性成分を保持することがあります。
脂に溶けやすい成分は、食品中の脂質相へとどまりやすく、空気中へ移る量が少なくなる場合があります。
一方、加熱や咀嚼で食品構造が変わると、保持されていた香気成分が放出されやすくなることがあります。
このため、同じ量の香気成分が含まれていても、脂質量や食品構造が違えば香りの強さは変わります。
でんぷんやたんぱく質も、香りの放出に影響する
でんぷんは糊化や老化によって水の保持状態や構造が変わります。たんぱく質も加熱変性や疎水性相互作用を通じて、香気成分を保持したり放出したりします。
炊飯米の香りに関する研究では、でんぷん、たんぱく質、脂質という主要成分が香気成分と相互作用し、香りの放出に影響するとされています。
したがって、香りは香気成分だけの問題ではありません。香気成分を包み込んでいる食品の構造も、香りを決める重要な要素です。
温度が上がると、なぜ香りやすくなる?
一般に、温度が上がると揮発性成分は気相へ移動しやすくなります。
炊きたてのご飯や焼きたてのパンが強く香るのは、加熱で新しい香気成分が生まれることに加え、既存の揮発性成分が空気中へ放出されやすくなるためです。
ただし、温度が高ければ必ず香りが強くなるとは限りません。高温で成分が分解したり、調理中に揮発して失われたりする場合もあります。
鼻先で嗅ぐ香りと、食べたときの香りは同じ?
同じではありません。
食品を鼻先で嗅ぐときは、空気中の香気成分が鼻孔から嗅覚受容体へ入ります。これをオルソネーザル嗅覚と呼びます。
一方、食品を口に入れて噛むと、口の中で放出された香気成分が喉の奥から鼻へ抜けて嗅覚受容体へ届きます。これがレトロネーザル嗅覚です。
私たちが食事中に「風味」として感じる香りの多くは、このレトロネーザル経路によって生じます。
同じ香気成分でも、鼻先と口の中で感じ方が違うことがある
レトロネーザル嗅覚に関する日本の研究では、同じにおい物質でも、鼻から直接嗅ぐ場合と口から鼻へ送る場合で、感度やにおいの質が異なることが示されています。
その理由として、口腔内の水分や唾液、口腔粘膜への分配などが関係すると考えられています。
つまり、穀物の香りは「食品からどんな成分が出るか」だけでなく、「どの経路で鼻へ届くか」によっても変わります。
噛むと香りが変わるのはなぜ?
咀嚼すると、食品は細かく砕かれ、表面積が増えます。
さらに、唾液と混ざることで香気成分の溶け方や放出のされ方が変わります。口腔内の温度も食品中の揮発性成分を放出しやすくします。
このため、口へ入れた直後、噛んでいる途中、飲み込む直前では、鼻へ届く香気成分の組成と濃度が少しずつ変わります。
食品の香りは固定されたものではなく、食べている間に時間とともに変化する動的な感覚です。
香りの分析では、なぜGC-MSだけでは足りないことがある?
ガスクロマトグラフィー質量分析では、食品に含まれる揮発性成分を分離し、種類や量を調べることができます。
しかし、分析機器が大量に検出した成分が、人にとって強く感じられるとは限りません。
そこで香り研究では、GCの出口で人が実際ににおいを嗅ぐGC-olfactometryなどを組み合わせ、どの成分が感覚的に重要なのかを調べます。
米の香りに関するレビューでも、機器分析と官能的な検出を組み合わせる方法が、主要な香気活性成分を見つけるうえで重要とされています。
香りが強い穀物=揮発性成分が多い穀物、とは限らない
香りの強さは、総揮発性成分量だけでは決まりません。
閾値の低い成分がどれだけあるか、食品マトリクスからどれだけ放出されるか、成分同士がどのように相互作用するかによって変わります。
また、品種、精製度、保存、加熱、咀嚼条件によっても、鼻へ届く香気成分の組成は変化します。
そのため、香りを比較するときは「成分量」と「知覚への寄与」を分けて考えることが重要です。
保存すると香りが変わるのも、生成と放出の両方が変わるから
保存中には、一部の香気成分が揮発して減少し、別の成分は脂質酸化などで新たに増えます。
さらに、でんぷんやたんぱく質の状態、水分分布も変化するため、同じ香気成分でも食品中での保持や放出のされ方が変わることがあります。
香りの経時変化は、「新しいにおい物質が増えるかどうか」だけではなく、「既存の香りがどれだけ鼻へ届くか」の変化も含んでいます。
まとめ
穀物の香りが少量の揮発性成分の組み合わせで決まるのは、香気成分ごとににおい閾値が大きく異なり、さらに食品マトリクスから鼻へ届く量も違うためです。
ごく微量でも閾値の低い2-アセチル-1-ピロリンのような成分は、全体の香りを強く特徴づけます。一方、量が多くても感じにくい成分は、香りへの寄与が小さい場合があります。
さらに、でんぷん・たんぱく質・脂質・水との相互作用、温度、咀嚼、オルソネーザルとレトロネーザルという嗅覚経路によって、実際に鼻へ届く香気成分は変化します。
つまり穀物の香りとは、化学成分の一覧そのものではなく、「どの成分が、どのくらい放出され、どの濃度で鼻へ届き、人がどれだけ敏感に感じるか」が組み合わさって生まれる知覚なのです。
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参考資料
- 農林水産省関連資料・稲の香り評価資料
- 日本農芸化学会誌「レトロネイザル嗅覚応答法によるGC-olfactometryの開発」
- Trends in Food Science & Technology「Volatile compounds, affecting factors and evaluation methods for rice aroma: A review」
- Journal of Cereal Science「Formation and release of cooked rice aroma」

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