魚に回遊が見られるのは、成長、採餌、越冬、産卵など、生活史の段階ごとに条件のよい場所が同じとは限らないからです。ある場所は餌が豊富でも産卵には向かず、別の場所は卵や仔魚には安全でも成魚が十分に成長するほど餌がないことがあります。
そこで一部の魚は、季節や成長段階に合わせて複数の生息場所を移動し、それぞれの場所の利点を使い分けます。回遊は単なる長距離移動ではなく、「いつ、どこで、何をするか」を生活史の中で組み合わせる戦略です。
ただし、すべての魚が回遊するわけではありません。同じ種の中でも、回遊する個体と同じ場所にとどまる個体がいる場合があります。回遊には大きなエネルギー、捕食、悪天候、障害物、塩分変化などのコストもあるため、移動によって得られる利益がそのコストを上回る条件で維持されます。
そもそも魚の「回遊」とは何か
魚の回遊は、生活史の中で繰り返し見られる、比較的方向性のある移動です。毎日の小さな移動から、季節ごとに数百・数千キロを移動するものまで規模はさまざまです。
日本の魚類回遊研究の総説でも、魚の大規模移動は季節的・日周期的に見られ、標識放流、バイオテレメトリー、記録標識、耳石分析などによってその履歴が調べられてきたと整理されています。
単に流されて場所が変わった場合や、偶然に泳ぎ回った場合とは違い、回遊には成長・摂餌・繁殖など生活史上の意味が伴うことが多いのが特徴です。
なぜ一つの場所に一生とどまらない魚がいるのか
一つの場所ですべての条件を満たすのが難しいからです。
たとえば、仔魚が育つには捕食者が少なく餌の小さな生物が多い浅場が適していても、大型になった成魚には餌量が足りないことがあります。逆に、沖合には豊富な餌があっても、卵や仔魚が生き残るには流れが強すぎる場合があります。
そのため、成長する場所と繁殖する場所を分ければ、それぞれの段階でより適した環境を利用できます。
回遊は、「一つの場所の欠点を我慢する」のではなく、複数の場所の長所を時間的につなぐ方法なのです。
採餌のための回遊は、どんな利益があるのか
魚の餌は一年中同じ場所に同じ量だけ存在するわけではありません。プランクトン、甲殻類、小魚などは、水温、海流、湧昇、季節的な生産量によって分布が変わります。
回遊魚は、餌が多い海域へ移動することで、短期間に多くのエネルギーを蓄えられます。そのエネルギーは成長、長距離遊泳、生殖腺の発達に使われます。
サケ属魚類では、海洋で豊富な餌を利用して成長し、その後繁殖のため淡水へ戻る生活史が代表的です。2019年の日本水産学会誌の総説でも、サケ属魚類では海洋での摂餌動態、気候変動、個体群動態、回遊が密接に関係することが整理されています。
つまり回遊は、「よく泳くため」ではなく、時間と場所によって変化する資源を追跡する手段の一つです。
なぜ産卵場所と成長場所を分ける魚がいるのか
卵や仔魚と成魚では、必要な環境条件が違うからです。
卵は自分で大きく移動できず、酸素、水温、流速、底質、捕食者などの影響を強く受けます。仔魚も遊泳力が弱いため、成魚が暮らしやすい場所が必ずしも安全とは限りません。
そこで、成魚は餌の多い場所で体を大きくし、繁殖期には卵や仔魚が生き残りやすい場所へ移動する戦略が進化することがあります。
ニシンのように産卵後に別海域へ移動し、翌年の繁殖期に再び産卵場へ戻る魚では、成長・採餌期と繁殖期の場所が明確に分かれています。
海と川を行き来する回遊には、どんな種類があるのか
海水域と淡水域の間を定期的に行き来する生活史は、まとめて通し回遊と呼ばれます。
- 遡河回遊:海で主に成長し、繁殖のため川へ上る。サケ類が代表例
- 降河回遊:川や淡水域で主に成長し、繁殖のため海へ下る。ウナギ類が代表例
- 両側回遊:成長や生活史の途中で海と淡水を行き来するが、その移動自体が直接産卵のためとは限らない
2020年の通し回遊の総説では、海と淡水を行き来する生活史は魚類のさまざまな系統で見られ、高いエネルギーコストを伴いながらも有効な生活史戦略として繰り返し進化してきたと整理されています。
サケは、なぜ海へ下ってから生まれた川へ戻るのか
サケ類の多くは、稚魚期に淡水から海へ下り、海で成長した後、成熟すると繁殖のため母川へ戻ります。
海は淡水より餌が豊富な場合が多く、大きく成長する機会を与えます。一方、繁殖にはその系統が長く適応してきた河川環境を利用します。
母川回帰によって、同じ河川へ戻る個体どうしが繁殖しやすくなり、その川特有の水温、流量、底質などに適応した地域集団が維持されやすくなります。
ただし、すべての個体が完全に生まれた場所へ戻るわけではなく、別河川へ迷入する個体もいます。そのような分散は新しい個体群の成立や遺伝子流動にもつながります。
サケは、どうやって遠い母川まで戻れるのか
一つの感覚だけですべての経路を決めているわけではありません。
外洋では、太陽、地磁気、海流などを含む複数の方向手掛かりを利用する可能性が研究されています。沿岸から河川へ近づくと、嗅覚が特に重要になります。
2015年の日本の総説では、サケの稚魚が降河時に母川のにおいを記憶し、成魚が産卵回遊時にその記憶を想起・識別して母川回帰する仕組みが神経内分泌学的に研究されています。
海外の総説でも、産卵回遊中のサケ科魚類は、母川由来のにおい、同種個体の手掛かり、その他の環境情報を階層的に組み合わせて移動すると考えられています。
ウナギは、なぜ川で育って海へ産卵に向かうのか
ウナギ類はサケとは逆方向の代表例です。
ニホンウナギは東アジアの河川や沿岸域で成長し、成熟すると海へ下って遠い外洋の産卵場へ向かいます。生まれた仔魚は海流に乗って大陸沿岸へ運ばれ、シラスウナギとなって沿岸・河川へ加入します。
日本のウナギ回遊研究では、耳石の日周輪、仔魚採集、海洋調査などによって産卵時期・産卵場所・回遊経路の解明が進められてきました。
この生活史は、成長には沿岸・淡水域の資源を利用し、繁殖には外洋の特定環境を利用するという、異なる生息場所の組み合わせです。
海の中だけを移動する魚でも、回遊する意味はあるのか
あります。
マグロ、カツオ、ニシン、サバなどでは、海水域の中で季節的に大きく移動します。海は一様な環境ではなく、水温、餌、海流、酸素、産卵に適した場所が時空間的に変化します。
マグロ類の回遊生態研究では、耳石の元素・同位体比などを用いて、生息海域や移動履歴を復元する試みが進められています。
海の中だけでも、「採餌に向く場所」「産卵に向く場所」「季節を越すのに向く場所」が離れていれば、回遊は大きな利益を持ちます。
水温は、回遊の開始や経路に関係するのか
関係します。
魚は変温動物なので、水温は代謝、遊泳能力、消化、成熟速度に強く影響します。さらに餌生物の分布や海流も水温と関係するため、季節的な水温変化は回遊の重要な環境情報になります。
ただし、「水温が一定値になれば必ず回遊開始」という単純な仕組みではありません。日長、流量、塩分、餌、生殖成熟、体脂肪、ホルモン状態など複数の要因が組み合わさります。
魚の回遊は、環境条件の変化を感覚器で受け取り、内分泌・代謝状態と統合して始まる複合的な行動です。
日長や季節は、なぜ回遊のタイミングに使えるのか
日長は毎年比較的規則的に変化するため、季節を予測する信号として利用できます。
水温や餌量は年によって変動しますが、昼の長さは緯度と季節に応じて安定して変化します。そのため、回遊準備や生殖成熟を早めに始めるための時間情報になります。
サケ類では、成長段階や季節に応じたホルモン変化が降河・産卵回遊と関係します。
ただし、実際の出発時期は日長だけで決まらず、その年の水温や流量、個体の体状態などによって調整されます。
同じ種でも、回遊する魚としない魚がいるのはなぜか
同じ集団の一部だけが回遊し、残りが定住する「部分回遊」は魚類でも広く見られます。
どちらが有利かは、個体サイズ、成長速度、性別、餌量、捕食リスク、繁殖機会などによって変わります。
たとえば、地元に十分な餌があり繁殖も可能なら、危険な長距離移動をしないほうが有利かもしれません。逆に、地元の資源が不足する個体では、移動して別の餌場を使う利益が大きくなります。
2012年の総説でも、魚類の部分回遊は環境条件と個体状態の両方によって維持される複雑な生活史戦略として整理されています。
回遊には、どんなコストがあるのか
長距離を泳ぐには大量のエネルギーが必要です。
さらに、移動中には捕食者、強い流れ、低酸素、高水温、低水温、海峡や河川障害物などの危険に遭います。海水と淡水を行き来する魚では、塩分環境が変わるたびにえら・腎臓・腸の浸透圧調節機能も切り替えなければなりません。
産卵回遊では、生殖腺を発達させながら移動するため、エネルギー要求はさらに高くなります。サケの一部では、河川へ入った後ほとんど餌を取らず、体内に蓄えたエネルギーで遡上・繁殖を完了します。
回遊は大きな利益を持つ一方、失敗すれば繁殖機会そのものを失う高コスト戦略です。
ダムや堰は、なぜ回遊魚に大きな影響を与えるのか
回遊魚は、複数の生息場所がつながって初めて生活史を完結できます。
河川の途中に移動できない障害物ができると、上流の産卵場へ到達できなかったり、稚魚が海へ下れなかったりします。魚道があっても、魚種・流量・構造によって利用効率は異なります。
また、問題は物理的な通過だけではありません。ダムによって流量、水温、堆積物、においの流れが変われば、回遊の開始や方向判断にも影響する可能性があります。
回遊魚の保全では、一つの生息地だけではなく、産卵場・成育場・越冬場・移動経路を一つのネットワークとして守る必要があります。
気候変動は、魚の回遊を変えるのか
変える可能性があります。
水温上昇、海流の変化、餌生物の分布変化、河川流量の変化によって、これまで使っていた回遊時期や経路が最適でなくなる場合があります。
2022年の魚類移動生態学の総説では、魚の移動は生物学的・生理学的・環境的要因によって多様な時空間スケールで駆動され、人為的変化への理解が保全上重要だと整理されています。
回遊時期が餌のピークや産卵適期とずれると、到着しても十分な利益を得られない可能性があります。回遊魚は移動能力が高い一方、複数地点の環境変化へ同時に影響される弱点も持っています。
結局、なぜ魚では回遊が見られるのか
魚に回遊が見られるのは、成長、採餌、越冬、産卵に適した場所が時間や生活史段階によって異なり、それらを移動によってつなぐことで、一か所にとどまるより高い生存・繁殖成功を得られる場合があるからです。
- 餌が季節・海域によって変化するため、豊富な資源を追って移動する利益がある
- 成魚の成長場所と、卵・仔魚が生き残りやすい繁殖場所が異なる場合がある
- サケ類では海で成長し、繁殖のため淡水へ戻る遡河回遊が見られる
- ウナギ類では淡水・沿岸で成長し、繁殖のため海へ下る降河回遊が見られる
- 海の中だけでも、水温・餌・産卵環境の季節変化に応じて大規模移動する魚がいる
- 回遊の開始や経路には、水温、日長、流量、塩分、餌、成熟、ホルモンなど複数の要因が関わる
- サケの母川回帰では、外洋での方向判断と河川のにおい記憶が組み合わさる
- 同じ種でも回遊する個体と残る個体がいる部分回遊があり、回遊は必須の戦略ではない
- 回遊には大きなエネルギー、捕食、障害物、塩分変化などのコストがある
- 回遊魚の生存には、産卵場・成育場・越冬場と、それらをつなぐ移動経路の連続性が必要になる
つまり魚の回遊は、「遠くへ移動したいから」起こるのではありません。一生の中で必要な条件が場所ごとに分かれているとき、それらを季節や成長段階に合わせて使い分けることで、成長と繁殖の両方を成立させるための生活史戦略です。魚がどこからどこへ動くかを見ると、その種が一年や一生の中で、どの環境をどの目的に使っているのかが見えてきます。
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参考資料
- 新井崇臣「魚類の回遊履歴:解析手法の現状と課題」魚類学雑誌
- 帰山雅秀「サケ属魚類の持続可能な資源管理にむけた生態学的研究」日本水産学会誌
- 上田宏「太平洋サケの嗅覚による母川記銘・回帰に関与する神経内分泌機能」日本味と匂学会誌
- “The movement ecology of fishes.”
- Delgado, M. L. and Ruzzante, D. E. “Investigating Diadromy in Fishes and Its Loss in an -Omics Era.”

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