なぜ発酵に使う酵母の性質は食品や条件によって違うのか?

パン、日本酒、ワイン、ビールなどでは、いずれも酵母が重要な役割を担います。しかも、その多くでSaccharomyces cerevisiaeが使われます。それでも、パン酵母、清酒酵母、ワイン酵母、ビール酵母はまったく同じ性質ではありません。

発酵に使う酵母の性質が食品や条件によって違うのは、長い利用の中でそれぞれの食品環境に適した菌株が選ばれてきたことに加え、同じ菌株でも温度、糖の種類と濃度、窒素源、酸素、pH、塩分、アルコール濃度などによって遺伝子発現や代謝の配分が変わるからです。つまり、違いには「菌株そのものの遺伝的な差」と「同じ菌株が環境に応答して変わる差」の二つがあります。

目次

まず「酵母の種類」と「菌株の違い」を分けて考える

酵母は一種類の微生物ではありません。食品発酵ではSaccharomyces cerevisiaeが非常に広く使われますが、ビールの一部ではSaccharomyces pastorianusなど別の酵母も利用されます。また、同じSaccharomyces cerevisiaeの中にも多数の菌株があります。

人間が長期間にわたってパン、ワイン、ビールなどへ酵母を使ってきた結果、食品用途ごとに遺伝的・生理的に異なる集団が形成されてきました。産業酵母のゲノム研究では、糖利用、ストレス耐性、香味生成などに用途別の選択がみられることが報告されています。

したがって、「パン酵母とワイン酵母は同じ酵母か」という問いには、同じ種に属する場合が多い一方、菌株としての性質は異なる、と答えるのが適切です。

食品ごとに酵母へ求められる仕事が違う

発酵食品では、酵母へ求められる役割が食品ごとに違います。

パンでは、短時間に二酸化炭素を発生させて生地を膨らませる能力が重要です。酒類では、糖を最後まで発酵してエタノールを作る能力が重要になります。さらに、ワインや日本酒では香気成分や有機酸の生成も品質へ強く影響します。

同じSaccharomyces cerevisiaeでも、二酸化炭素発生速度、アルコール耐性、低温耐性、糖の利用性、香気成分生成量などには菌株差があります。このため、用途に合う菌株を選ぶことが発酵管理の基本になります。

パン酵母では「糖の利用」と「生地ストレス」が重要

パン生地は、酵母にとって単純な液体培地ではありません。小麦粉、水、塩、砂糖、油脂などが混ざった半固体の環境です。

無糖生地では、でんぷんが酵素で分解されて生じるマルトースを利用する能力が重要になります。一方、菓子パンのような高糖生地では、砂糖による高い浸透圧に耐えながら発酵する能力が必要です。

日本のパン酵母研究では、分離した菌株の中に高い冷凍耐性を持つものがあり、その中でも高糖生地で強い発酵力を示す株と、マルトースを十分利用できず無糖生地後半でガス発生が弱くなる株があることが示されています。

つまり、「パン酵母として発酵力が高い」という一つの評価だけでは十分ではなく、どの生地条件で使うかによって適した菌株は変わります。

冷凍生地では冷凍耐性も重要になる

冷凍パン生地では、発酵力だけでなく、凍結と解凍を受けても酵母が生き残れるかが重要です。

氷結晶の形成や浸透圧変化は細胞膜や細胞内部へ強いストレスを与えます。そのため、通常の生地ではよく発酵する酵母でも、冷凍後には発酵力が低下することがあります。

冷凍耐性の高い菌株では、凍結後にも生存率や二酸化炭素生成能力を維持しやすくなります。食品加工条件そのものが、どの酵母を選ぶべきかを変える例です。

ワイン酵母では果汁の糖・酸・亜硫酸への適応が重要

ブドウ果汁は糖濃度が高く、pHが低く、発酵が進むにつれてエタノール濃度も上がります。ワイン醸造では亜硫酸が使われることもあるため、ワイン酵母には複数のストレスへの耐性が求められます。

また、発酵温度はワイン酵母の働き方を大きく変えます。日本の研究では、7~10℃の低温で良好に発酵するワイン酵母株が選抜されており、一般的なワイン酵母とは低温での発酵速度だけでなく、高級アルコール、酢酸フェネチル、有機酸などの生成にも違いがみられました。

これは、温度が単に発酵を速くしたり遅くしたりするだけではなく、菌株ごとの特徴を引き出す条件でもあることを示しています。

日本酒では高い発酵力と香気特性が重視される

日本酒のもろみでは、麹によって米のでんぷんから糖が供給される一方、酵母はその糖を利用してアルコール発酵を続けます。発酵後半にはエタノール濃度が高くなるため、酵母自身にとって厳しい環境になります。

そのため清酒酵母では、低温でも安定して発酵できること、高いアルコール濃度まで発酵を続けられること、望ましい香気成分を作ることなどが重要になります。

特に吟醸酒では、酢酸イソアミルやカプロン酸エチルなどの香気成分生成量が菌株選択に関係します。同じSaccharomyces cerevisiaeでも、香気代謝に関わる遺伝子や酵素活性の違いによって、できあがる酒の香りが変わります。

ビール酵母では糖利用と発酵温度の違いが大きい

ビールでは、麦芽由来の糖を利用する能力が重要です。麦汁にはグルコースだけでなく、マルトースやマルトトリオースなども含まれます。

これらを効率よく取り込み、発酵できるかどうかは酵母株によって異なります。

また、上面発酵ビールに使われることの多いSaccharomyces cerevisiae系統と、下面発酵のラガービールに使われるSaccharomyces pastorianusでは、遺伝的背景や低温適性が異なります。

ビール酵母のゲノム研究では、産業環境への長期的な選抜によって、糖利用、ストレス耐性、香味生成などに特徴的な変化が蓄積してきたことが示されています。

同じ菌株でも温度によって性質の現れ方が変わる

菌株の遺伝的性質が同じでも、温度が変わると発酵速度や生成物の割合は変化します。

低温では酵素反応や物質輸送が遅くなりやすく、発酵時間が長くなります。一方、高すぎる温度では細胞膜やタンパク質へのストレスが強くなり、酵母の生存率や発酵力が低下することがあります。

さらに、温度によってエステルや高級アルコールなどの香気成分生成量も変わるため、同じ酵母を使っても低温発酵と高温発酵では香りが異なることがあります。

糖の種類と濃度でも違いが出る

酵母はすべての糖を同じように利用できるわけではありません。グルコース、フルクトース、マルトース、マルトトリオースなどでは、細胞膜の輸送体や代謝酵素が異なります。

また、糖濃度が高すぎると浸透圧ストレスが強くなります。酵母はグリセロールを蓄積するなどして対応しますが、耐性の強さは菌株によって異なります。

このため、高糖の菓子パン生地に強い菌株と、麦汁中のマルトースを効率よく使うビール酵母では、求められる糖利用特性が異なります。

窒素源の違いは発酵速度と香りの両方へ影響する

酵母が増殖するには、糖だけでなくアミノ酸やアンモニウムなどの窒素源も必要です。

窒素が不足すると細胞増殖が遅れ、糖が残っていても発酵が弱くなる場合があります。一方、アミノ酸の種類は高級アルコールやエステルなどの香気成分生成にも関係します。

同じ菌株でも、果汁、麦汁、米由来のもろみ、パン生地では利用できる窒素源の量と種類が違います。そのため、食品側の栄養組成が酵母の発酵速度や香りの特徴を変えます。

酸素の量によって増殖と発酵のバランスが変わる

酵母はアルコール発酵を行いますが、酸素がまったく不要というわけではありません。

増殖初期には、細胞膜に必要なステロールや不飽和脂肪酸の合成に酸素が重要です。そのため、発酵開始前後に適度な酸素があると、健康な酵母細胞を増やしやすくなります。

一方、発酵が進む段階では酸素供給の程度によって代謝の配分が変わり、エタノールだけでなく有機酸や香気成分の生成にも影響することがあります。

食品ごとに攪拌や通気の方法が違うため、この酸素条件も酵母の働き方の違いにつながります。

アルコール濃度が上がると菌株差が現れやすい

酒類の発酵では、酵母自身が作ったエタノールが後半のストレスになります。

エタノールは細胞膜の流動性や透過性を変え、タンパク質機能にも影響します。耐性の弱い菌株では、糖が残っていても発酵が途中で遅くなることがあります。

酒類用酵母では、高いエタノール濃度でも代謝を続けられることが重要です。一方、パン酵母では最終的に高濃度のエタノールを蓄積する必要がないため、同じ耐性が最優先されるとは限りません。

「用途別酵母」は人間による選抜の積み重ねでもある

パン、ワイン、ビールなどで使われる酵母は、長い年月の中で人間が発酵の良好なものを繰り返し利用してきました。

その結果、食品環境へ適した遺伝的特徴が集団内に蓄積しました。Saccharomyces cerevisiaeの集団研究では、パン、ビール、ワイン、清酒などの由来によって遺伝的に分かれる集団が確認されています。

産業酵母の大規模なゲノム・表現型解析でも、食品用途ごとに糖利用性、ストレス耐性、香味生成などへ異なる選択が働いてきたことが示されています。

つまり、用途別の酵母の違いは単なる商品名の違いではなく、長期の選抜と適応の結果でもあります。

同じ菌株でも条件が変われば「別の性格」に見える

菌株差がある一方で、環境条件の影響も無視できません。

同じ酵母株でも、低温では発酵が遅く香気成分の比率が変わり、高糖条件では浸透圧応答が強くなります。窒素不足では増殖が弱まり、高アルコール条件ではストレス応答が増えます。

このため、ある酵母を一つの条件だけで評価して「発酵力が強い」「香りが良い」と決めることはできません。実際に使う食品と温度、糖、栄養条件で評価する必要があります。

菌株と条件は掛け算で考える

発酵結果は、「菌株」か「環境」のどちらか一方だけで決まるものではありません。

低温に強いワイン酵母でも、高温では別の酵母より発酵が遅い場合があります。高糖生地に強いパン酵母でも、マルトース利用性が低ければ無糖生地で力を発揮できない場合があります。

逆に、同じ菌株でも温度や栄養を調整すると、発酵速度や香りを大きく変えられます。

したがって、発酵食品づくりでは「優れた酵母を選ぶ」だけでなく、「その酵母が力を発揮できる条件を作る」ことが重要です。

家庭や食品製造で酵母を選ぶときの考え方

酵母を選ぶときは、単に発酵力の強さだけでなく、目的に合う性質を見る必要があります。

  • どの糖を利用する必要があるか
  • 発酵温度は低温か高温か
  • 高糖・高塩などの浸透圧ストレスがあるか
  • 冷凍工程があるか
  • 高いアルコール濃度まで発酵する必要があるか
  • どのような香りや味を作りたいか
  • 発酵をどの程度の時間で終えたいか

これらの条件に対する適性は菌株ごとに違います。同じ「酵母」という名前でも、用途が変われば適した性質も変わります。

まとめ

発酵に使う酵母の性質が食品や条件によって違うのは、二つの理由が重なっているからです。

一つは、パン、ワイン、ビール、日本酒などの食品環境で長期間選ばれてきた結果、同じSaccharomyces cerevisiaeの中にも、糖利用、温度適性、アルコール耐性、冷凍耐性、香気生成などが異なる菌株が存在することです。

もう一つは、同じ菌株でも温度、糖の種類と濃度、窒素源、酸素、pH、アルコール濃度などが変わると、遺伝子発現や代謝の流れが変わり、発酵速度や生成物が変化することです。

つまり、パン酵母、ワイン酵母、清酒酵母などの違いは「完全に別物」だから生じるのでも、「名前だけ違う」のでもありません。菌株の遺伝的な違いと、食品ごとの環境条件への応答が組み合わさって、それぞれの発酵特性として現れているのです。

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