コーヒー、紅茶、果汁、牛乳、発酵飲料など、飲み物にはそれぞれ特徴的な香りがあります。香りの正体は、主に空気中へ移動できる「揮発性成分」です。
ただし、香りは単に「香り成分が入っている」だけでは感じられません。原料にもともと含まれる成分、発酵や焙煎・加熱によって新しくできる成分が液体中に存在し、それらが液体から気体側へ放出されて鼻へ届くことで、私たちは香りとして知覚します。
さらに、同じ香気成分が同じ量だけ含まれていても、飲み物の温度、脂質、タンパク質、糖、アルコール、pHなどによって、液体から空気へ出やすいかどうかが変わります。つまり飲み物の香りは、「どんな香気成分があるか」と「それがどれだけ放出されるか」の両方で決まるのです。
そもそも「香り」とは何?
私たちが香りとして感じる物質の多くは、空気中へ移動できる揮発性化合物です。
飲み物の表面から空気中へ出た香気成分は、鼻から吸い込まれて嗅上皮に届き、嗅覚受容体を刺激します。食品の香りは一般に一つの物質だけでできているわけではなく、多数の揮発性成分の組み合わせによって構成されています。
日本の香り研究でも、食品の匂いは多数の香気成分から構成され、各成分の濃度だけでなく、人が感じ取れる最低濃度である閾値との関係が重要とされています。
そのため、含有量が多い成分が必ず最も強く香りへ寄与するとは限りません。ごく少量でも非常に低い閾値を持つ成分は、全体の香りを大きく左右することがあります。
飲み物の香気成分はどこから来るの?
原料にもともと含まれている
果物、茶葉、ハーブ、穀物などには、もともとさまざまな揮発性成分が含まれています。
果物ではエステル、アルコール、アルデヒド、テルペン類などが果実らしい香りに関係します。柑橘類ではリモネンなどのテルペン類が代表的です。
茶やハーブでは、原料植物が生合成した揮発性成分や、その前駆体が加工時に変化して生じる成分が香りをつくります。
このように、飲み物の香りの一部は、原料植物や食品素材がもともと持っている化学成分を抽出することで現れます。
加工や調理の途中で新しく生まれる
飲み物の香りは原料の香りをそのまま移しただけとは限りません。
コーヒー豆では焙煎によって、糖やアミノ酸などが反応するメイラード反応、熱分解、脂質由来反応などが進み、多数の新しい揮発性成分が生じます。
2024年の日本のコーヒー香気研究では、焙煎コーヒーの水抽出液からアセトアルデヒド、2-メチルブタナール、3-メチルブタナール、2,3-ブタンジオンなど、香りへの寄与が大きい複数の成分が確認されています。
つまりコーヒーの香りは、生豆にもともと完成した形で存在しているのではなく、焙煎という加工で多くの香気成分が形成されているのです。
発酵でも香りは生まれるの?
生まれます。
酵母や乳酸菌などの微生物は、糖やアミノ酸などを代謝する過程で、アルコール、エステル、有機酸、アルデヒドなどさまざまな化合物をつくります。
ビール、ワイン、日本酒、発酵乳飲料などでは、こうした発酵由来成分が香りの重要な部分になります。
たとえば酵母が生み出すエステル類は、果実のような香りに寄与する場合があります。一方、発酵条件が変わると生成する化合物の比率も変化し、同じ原料でも香りの印象が変わります。
したがって、発酵飲料の香りは原料だけでなく、微生物の種類、発酵温度、酸素条件、発酵時間などによっても大きく左右されます。
香気成分が液体にあっても、なぜ全部同じ強さで香らないの?
液体と空気の間で「出やすさ」が違うから
香気成分は、飲み物の液体中と、その上にある空気中の間を行き来しています。
ある成分が液体側にとどまりやすいか、気体側へ移りやすいかは、その成分の揮発性や、飲み物中の他成分との相互作用によって変わります。
飲料のフレーバーリリースに関する海外レビューでは、香気成分の放出は、成分そのものの揮発性や親水性・疎水性に加え、脂質、タンパク質、糖、塩などの飲料マトリックス、温度、pHなどによって左右されると整理されています。
つまり、香気成分の「含有量」と、実際に鼻へ届く「放出量」は同じではありません。
脂質があると香りはどう変わる?
多くの香気成分は油に溶けやすい性質を持っています。
そのため、乳飲料や乳化飲料などに脂質があると、疎水性の香気成分が脂質相へ取り込まれ、空気中へ出にくくなる場合があります。
海外の飲料フレーバー研究では、脂質は多くの揮発性香気成分を強く保持する成分の一つとされています。
このため、同じ香料を加えても、水だけの飲料と乳脂肪を含む飲料では、香りの立ち方が異なることがあります。
一方、飲み込んだ後に脂質から徐々に香気成分が放出されれば、香りの余韻が長く感じられる場合もあります。
タンパク質も香りを保持するの?
タンパク質も香気成分と相互作用します。
香気成分がタンパク質の疎水性部分などへ結合すると、液体から空気中への放出が抑えられることがあります。
一方、pHや塩分によってタンパク質の構造や結合部位が変わると、保持されていた香気成分が放出されやすくなる場合もあります。
このため、乳飲料、豆乳、プロテイン飲料などでは、タンパク質量やpHが香料の感じ方へ影響することがあります。
糖や塩でも香りの感じ方は変わるの?
変わります。
糖や塩は、香気成分と直接強く結合しなくても、水の状態や溶液の性質を変えることで、香気成分の放出に影響します。
飲料フレーバー研究では、糖や塩が水分活性や成分間相互作用を変え、香気成分の放出を促進したり抑えたりする場合があるとされています。
さらに、人が飲み物を感じるときには、香りと甘味・酸味・塩味などが別々に処理されるだけではありません。嗅覚と味覚の情報は脳内で統合され、全体として「風味」として知覚されます。
そのため、同じ香りでも糖を加えると「より果実らしい」「甘そう」と感じるなど、香りの印象そのものが変わることがあります。
温かい飲み物の方が香りやすいのはなぜ?
一般に、温度が上がると揮発性成分は液体から気体へ移りやすくなります。
熱いコーヒーや紅茶から香りが強く立つのは、香気成分の蒸気圧が高まり、飲み物の表面から空気中へ放出される量が増えるためです。
飲料のフレーバーリリースに関する研究でも、温度は香気成分の気液分配や放出速度に大きく影響する要因とされています。
ただし、高温にすればするほど良い香りになるわけではありません。熱に弱い香気成分は分解したり、短時間で失われたりすることがあります。
コーヒー飲料の加熱処理を調べた日本の研究では、加熱によって2-furfurylthiolやmethionalなど、香りへの寄与が大きい複数成分が減少し、香気変化に関係することが示されています。
「鼻で嗅ぐ香り」と「飲んだときの香り」は違うの?
鼻先から感じるオルソネーザル香
飲む前にカップへ鼻を近づけて感じる香りは、主に鼻孔から入った香気成分を感じる経路です。これをオルソネーザル嗅覚と呼びます。
飲み物の表面から空気中へ出た香気成分が鼻へ入り、「コーヒーらしい」「柑橘らしい」といった第一印象をつくります。
口から鼻へ抜けるレトロネーザル香
飲み物を口に含んだ後には、温められたり唾液と混ざったりすることで香気成分が放出されます。その成分は飲み込むときの呼吸などによって口の奥から鼻腔へ移動し、嗅覚受容体へ届きます。
この経路をレトロネーザル嗅覚と呼びます。
2020年の日本食品科学工学会誌の研究では、飲料の香気成分が口腔から鼻へ放出されるフレーバーリリース特性を評価する方法が開発され、飲用中の香りの感じ方を解析しています。
このため、飲む前に嗅いだ香りと、口に含んだときの香りが違って感じられることがあります。
なぜ香りは時間とともに変わるの?
香気成分は非常に揮発しやすいため、開封後は少しずつ空気中へ逃げます。
さらに、酸素、光、熱によって酸化や分解が進み、もともとの香気成分が減ったり、新しいにおい成分が生まれたりします。
コーヒーでは、香気成分の損失に加え、脂質酸化などによって古いにおいが生じることがあります。果汁でもテルペン類やエステル類が変化し、フレッシュな香りが弱くなる場合があります。
そのため飲料では、密封、低温、遮光、酸素を減らす包装などによって、香りの変化を遅らせる工夫が行われています。
香りが強い成分ほど濃度も高いの?
必ずしもそうではありません。
香気成分には、それぞれ人が感じ取れる最低濃度である嗅覚閾値があります。閾値が非常に低い物質は、ごく少量でも香りへ強く寄与します。
2024年のコーヒー研究では、各成分の定量値を閾値で割った香気強度を用いて、実際のコーヒー香への寄与を評価しています。
この考え方からわかるように、飲み物の香りを理解するには「何mg入っているか」だけでは不十分です。「その濃度が人間の嗅覚閾値と比べてどれほど高いか」が重要です。
一つの香気成分だけで飲み物らしい香りを再現できる?
多くの場合は難しいです。
食品の香りは、多数の揮発性成分の組み合わせで生まれます。一部の食品では特徴を決めるキー成分がありますが、それだけで本物と同じ複雑な香りになるとは限りません。
コーヒーではアルデヒド、ジケトン、含硫化合物、フェノール類など、性質の異なる多数の成分が組み合わさっています。
果汁でも、エステル、アルコール、テルペン、アルデヒドなどが一定の比率で存在することで、その果実らしい香りが形成されます。
香料設計では、個々の香気成分だけでなく、それらの比率と飲料マトリックス中での放出のされ方まで考える必要があります。
保存や加熱で「オフフレーバー」が生まれるのはなぜ?
オフフレーバーとは、食品や飲料で本来期待されていない異臭・異味を指します。
原因には、脂質酸化、光による分解、加熱反応、微生物代謝、包装材料からの移行、原料の劣化などがあります。
日本の飲料フレーバー研究でも、茶、コーヒー、果汁飲料では、製造・保存中の香気変化やオフフレーバーの制御が重要な課題として扱われています。
つまり、飲み物の香りは「良い香りを作る」だけでなく、「望ましくない香りを作らない・増やさない」ことも品質設計の大きな要素です。
最近の飲料では香りをどうコントロールしているの?
飲料の香りは、香料の種類と量だけでなく、飲料中のタンパク質、脂質、糖、甘味料、有機酸などとの相互作用を考えて設計されます。
2026年のソフトドリンク香気に関するレビューでも、マトリックス成分と香気成分の相互作用、温度やpH、殺菌、マイクロカプセル化などが、香りの保持と放出を左右する重要な要因として整理されています。
たとえば、製造中は香りを失いにくくし、口に入ったときには適切に放出されるようにすることが理想です。
このため、飲料開発では「香気成分を多く入れる」だけでなく、「必要なタイミングで香りが出るようにする」という視点が重要になっています。
まとめ
飲み物の香りは、原料にもともと含まれる揮発性成分だけでなく、発酵、焙煎、加熱などによって新しく生じる多くの化合物からできています。
しかし、香気成分が液体中に存在するだけでは十分ではありません。香気成分が液体から空気中へ放出され、鼻へ届いて初めて香りとして感じられます。その放出のしやすさは、成分の揮発性、温度、脂質、タンパク質、糖、塩、pHなどによって変化します。
また、飲む前に鼻から感じる香りと、飲み込むときに口の奥から鼻へ届く香りでは経路が異なり、香りの印象も変わることがあります。
飲み物の香りは、一つの物質から単純に「生じる」のではありません。香気成分が作られ、液体中に保持され、適切なタイミングで放出され、人の嗅覚で知覚されるという一連の過程によって生まれるのです。
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参考資料
- 熊沢賢二「飲料フレーバーに関する食品科学的研究」日本食品科学工学会誌
- 糸部尊郁ほか「飲料香気成分のフレーバーリリース特性評価法の開発」日本食品科学工学会誌
- 松原英隆ほか「Headspace-GC-MSとGPC-GC-MSおよび官能試験によるコーヒーの香りに寄与する成分の解析」
- Flavor Retention and Release from Beverages: A Kinetic and Thermodynamic Perspective
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