米や麦などに麹菌を育てる製麹では、種麹をまいた直後と、菌糸が広がった中盤、出麹に近い終盤とで、麹菌の状態は同じではありません。胞子が発芽し、菌糸が伸び、原料を分解する酵素が増えていく一方、菌自身の代謝熱で品温が上がり、水分や酸素の分布も時間とともに変化します。
製麹中の麹菌が温度・水分・時間に応じて生育と酵素生産を変えるのは、固体原料の中で温度、水分活性、酸素、栄養状態が連続的に変化し、麹菌がその環境に合わせて発芽・菌糸伸長・酵素遺伝子発現・浸透圧応答などを切り替えるからです。製麹は、麹菌を一定条件で増やすだけの工程ではなく、時間とともに変わる固体環境を制御して、目的の生育段階と酵素バランスへ導く工程です。
製麹では最初から最後まで環境が一定ではない
麹菌は蒸した米や麦などの固体表面で育ちます。液体培養と違い、原料粒の表面と内部、麹の層の上部と中心部では、温度、水分、酸素、栄養濃度が完全には均一になりません。
固体培養の研究では、Aspergillus oryzaeの固体培養中には温度、水分活性、栄養濃度の勾配が生じ、液体培養とは遺伝子発現やタンパク質分泌のパターンも異なることが報告されています。
このため、製麹中の麹菌は「同じ条件で同じ働きを続ける」のではなく、場所と時間によって変化する環境へ応答しながら生育します。
初期には胞子の吸水と発芽が中心になる
種麹として付着した胞子は、まず原料表面から水分を得て発芽します。発芽には十分な水分と適した温度、酸素が必要です。
この段階では、まだ菌糸量が少なく、原料全体を分解するほど大量の酵素が蓄積しているわけではありません。まずは胞子が活動を再開し、細胞内の代謝を立ち上げ、発芽管を伸ばすことが優先されます。
水分が少なすぎれば発芽が遅れます。一方で、水分が多すぎて原料粒が密着すると、空隙が減って酸素が届きにくくなることがあります。製麹初期から水分と通気は互いに関係しています。
菌糸が伸びると代謝熱で品温が上がる
発芽した麹菌は菌糸を伸ばし、枝分かれしながら原料表面へ広がります。菌体量が増えると呼吸や代謝も盛んになり、熱が発生します。
固体原料は液体のように簡単には撹拌されないため、発生した熱が内部にたまりやすく、室温より麹そのものの品温が高くなることがあります。
温度上昇は一定範囲では生育や酵素反応を速めますが、高くなりすぎれば菌糸の生育や酵素生産のバランスが崩れます。そのため、製麹では手入れや送風によって熱を逃がし、目的に合う温度経過へ調整します。
温度は菌糸量だけでなく酵素活性の時間変化にも関係する
製麹で重要なのは、麹菌をできるだけ速く増やすことだけではありません。清酒、味噌、しょうゆなどの後工程で必要になるアミラーゼやプロテアーゼなどを、適切な量と比率で作らせる必要があります。
吟醸麹を調べた国内研究では、製麹中の温度と時間を合わせた積算温度とグルコアミラーゼ活性の間に高い相関がみられました。これは、酵素活性が瞬間的な温度だけではなく、どの温度帯をどれくらいの時間経験したかにも影響されることを示しています。
したがって、「何℃にするか」と「その温度を何時間続けるか」は切り離せません。温度経過そのものが、最終的な麹の酵素力を決める要因になります。
同じ高温でも短時間と長時間では意味が違う
麹菌にとって温度の影響は、温度の数字だけで決まりません。適度に高い温度を短時間経験する場合と、長時間高温が続く場合では、細胞が受ける負担が異なります。
短時間なら代謝や生育が促進されても、長時間続けば水分損失や熱ストレスが強まり、菌糸の状態や酵素生産が変わる可能性があります。
そのため製麹では、品温の最高値だけでなく、温度がどのように上がり、どの程度維持され、いつ下げられたかという「温度履歴」が重要です。
水分は発芽・栄養移動・酵素反応を支える
麹菌が原料成分を利用するには、水が必要です。胞子の発芽、菌糸細胞内の代謝、酵素反応、分解された糖やアミノ酸の移動など、多くの過程に水が関わります。
しかし、固体培養中の水分は一定ではありません。蒸発や代謝、原料内部への移動によって、製麹の進行とともに水分量と水分活性が変化します。
Aspergillus oryzaeを小麦上で固体培養した研究では、発酵の進行とともに全体の水分量と水分活性が低下し、水がより結合した状態へ移ることが示されています。つまり、製麹時間が進むほど、麹菌が経験する水環境そのものが変わります。
低い水分活性は単なる「乾燥」ではなく遺伝子発現の刺激にもなる
水分が減ると生育が不利になるだけのように見えますが、麹菌では低い水分活性が特定の遺伝子発現を誘導することがあります。
代表例がグルコアミラーゼをコードするglaBです。Aspergillus oryzaeでは、glaBが液体培養より固体培養で強く発現し、その発現は低い水分活性、高温、菌糸伸長への物理的制約、デンプンなどによって高まることが報告されています。
これは、麹菌が「水分が少ない固体上」という環境を単なる障害として受けるだけでなく、固体培養に適した酵素生産へ切り替える情報として利用していることを示しています。
乾燥が進みすぎると浸透圧ストレスが強くなる
一方で、水分活性が低下しすぎれば細胞は水を保ちにくくなり、浸透圧ストレスが強くなります。
固体培養中のAspergillus oryzaeは、低水分活性条件でグリセロール、エリスリトール、アラビトールなどのポリオールを蓄積することが報告されています。これらは細胞内の浸透圧調整に関わり、乾燥しやすい環境でも細胞機能を維持する助けになります。
つまり、水分低下は酵素生産のシグナルになり得る一方、強すぎれば生育を妨げるストレスになります。製麹ではこの両面を考えて水分を管理する必要があります。
酸素は菌糸生長に必要だが、水分管理と切り離せない
麹菌は好気性の糸状菌なので、生育には酸素が必要です。特に固体培養では、原料粒の間の空隙を通って酸素が菌糸へ届きます。
原料の水分が多すぎて粒が密着すると、空隙が減って酸素が届きにくくなります。逆に、通気を強くしすぎると水分が失われ、乾燥ストレスが強くなります。
固体培養の研究では、空中菌糸が酸素取り込みで重要な役割を持つことも示されています。したがって、通気は酸素供給だけを目的にするのではなく、温度と水分を同時に調整する操作として考える必要があります。
製麹中盤では菌糸増加と酵素生産が大きくなる
胞子が十分に発芽し、菌糸が原料上へ広がると、菌体量が増え、原料分解酵素の生産も大きくなります。
固体培養条件を均一化した研究では、菌糸生長が速くなる時期と酵素生産が速くなる時期が対応し、対数増殖期付近の水分活性が生育に適していたことが報告されています。
ただし、すべての酵素が同じ時刻に最大になるわけではありません。アミラーゼ、グルコアミラーゼ、プロテアーゼなどは、基質、温度、水分、pH、成長段階によって発現の仕方が異なります。
このため、「菌糸が最も多い時点」と「目的酵素のバランスが最もよい時点」は必ずしも一致しません。
時間が進むと原料側の条件も変わる
麹菌が酵素を分泌すると、デンプンやタンパク質が分解され、糖、ペプチド、アミノ酸などが増えます。
つまり、麹菌が成長するほど、自分自身の周囲の栄養環境も作り変えていきます。初期にはデンプンなど高分子が多かった原料でも、後半には利用しやすい低分子成分が増えます。
麹菌は栄養状態に応じて酵素遺伝子の発現を変えるため、原料分解が進むこと自体が、その後の酵素生産へフィードバックします。
製麹時間は単なる時計の経過ではなく、「麹菌が原料をどこまで変え、その結果としてどんな環境になったか」を表す指標でもあります。
後半では生育量より目的の酵素バランスが重要になる
製麹後半では、菌糸が十分に広がり、原料分解酵素も蓄積しています。この段階でさらに時間を延ばせば、すべての品質が同じ割合で向上するわけではありません。
水分低下、栄養状態の変化、品温経過などによって、酵素ごとの活性バランスや菌糸の状態が変わります。
そのため、製麹では「できるだけ長く育てる」のではなく、目的とする糖化力、タンパク質分解力、酸生成能などが得られる時点で出麹します。
出麹のタイミングは、麹菌を止める単なる時間設定ではなく、時間とともに変化する麹の状態を狙った品質で切り取る操作です。
温度・水分・酸素・時間は互いに影響する
製麹条件は一つずつ独立していません。
菌糸が増えると代謝熱が増えて品温が上がります。温度が上がると蒸発が進み、水分が減りやすくなります。送風で熱を下げれば酸素供給は増えますが、同時に乾燥も進みます。水分が多すぎれば空隙が減り、酸素供給が悪くなる場合があります。
このため、「温度だけ適正」「水分だけ適正」という管理では不十分です。製麹では、温度・水分・酸素・時間を一つの連動した系として調整します。
麹菌は固体培養という環境に特有の働き方をする
Aspergillus oryzaeは液体でも培養できますが、固体培養では液体培養と異なる遺伝子発現やタンパク質分泌を示します。
固体培養では、水分活性や酸素の勾配、菌糸の物理的な伸長制約、基質との局所的な接触など、液体中にはない条件があります。こうした条件が、固体培養特有の酵素生産や代謝につながります。
したがって、製麹中の変化を理解するには、単に「麹菌の適温」や「麹菌の酵素」を覚えるだけではなく、固体原料の中で環境そのものが時間とともに変わることを見る必要があります。
製麹管理では時計より「麹の状態」を見る
製麹では経過時間が重要ですが、同じ時間がたてば必ず同じ状態になるわけではありません。原料の吸水、蒸し上がり、種麹量、室温、品温、湿度、通気量、麹層の厚さなどで進み方は変わります。
そのため実際の管理では、時間だけでなく品温、香り、菌糸の広がり、乾き方などを確認しながら手入れや送風を行います。研究や製造管理では、酵素活性、水分活性、菌体量なども品質評価に使われます。
同じ「40時間製麹」のような表示でも、温度履歴や水分履歴が違えば、できあがった麹の酵素活性が同じとは限りません。
既存の麹記事との違いは「一つの工程内での変化」にある
麹菌が原料上で増殖して酵素を分泌する一般的な仕組みを理解することと、製麹中にその状態がどう変わるかを理解することは別の視点です。
また、米麹・麦麹・豆麹や黄麹・白麹・黒麹を比較する場合は、原料や菌種の違いが中心になります。
一方、ここで重要なのは、同じ原料と同じ麹菌を使っていても、製麹の初期・中盤・後半で、温度、水分、酸素、栄養環境が変わり、それに応じて菌糸生長と酵素生産が変化するという点です。
まとめ
製麹中の麹菌が温度・水分・時間に応じて生育と酵素生産を変えるのは、固体原料の中の環境が製麹中ずっと変化し続けるからです。
初期には胞子が吸水して発芽し、中盤には菌糸が広がって代謝熱が増え、酵素生産も高まります。その間に水分は移動・蒸発し、水分活性が下がり、酸素や栄養の分布も変化します。低い水分活性や高めの温度などは、固体培養特有のグルコアミラーゼ遺伝子の発現を高める場合がある一方、乾燥や高温が強すぎればストレスになります。
さらに、温度は時間と組み合わさって酵素活性へ影響し、水分と通気は酸素供給や乾燥を介して互いに影響します。
したがって、製麹を理解するには「何℃が適温か」「何時間作ればよいか」を別々に考えるのではなく、発芽から菌糸伸長、酵素生産、出麹までの状態遷移を、温度・水分・酸素・時間が連動する一つの工程として見ることが重要です。
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参考資料
- 三代恭広ほか「製麹温度経過が吟醸麹の酵素活性に及ぼす影響について」日本醸造協会誌, 2000.
- Identification of functional elements that regulate the glucoamylase-encoding gene (glaB) expressed in solid-state culture of Aspergillus oryzae. Molecular Genetics and Genomics, 2000.
- Water dynamics during solid-state fermentation by Aspergillus oryzae YH6. Food Chemistry, 2019.
- Aspergillus oryzae in solid-state and submerged fermentations. Progress report on a multi-disciplinary project. FEMS Yeast Research, 2002.

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