なぜ果実には香りが生まれるのか?

リンゴ、モモ、バナナ、イチゴ、ミカンなどには、それぞれ独特の香りがあります。しかも、その香りは未熟なときと熟したときで大きく変わることがあります。

なぜ果実には香りが生まれるのでしょうか。結論から言えば、果実の細胞で脂肪酸、アミノ酸、糖、カロテノイドなどを材料にして、エステル、アルデヒド、アルコール、テルペン、ラクトンなどの揮発性有機化合物がつくられ、それらが空気中へ放出されて私たちの嗅覚を刺激するからです。

成熟が進むと、これらの香気成分をつくる酵素や代謝経路の働きが変わり、香りの種類と量が大きく変化します。ただし、果実の香りは一つの物質だけで決まるわけではありません。多数の成分の組み合わせと、それぞれを人や動物が感じ取れる濃度によって、果実ごとの特徴的な香りが生まれます。

目次

果実の香りの正体は「揮発性有機化合物」

果実の香りをつくる主役は、揮発性有機化合物です。揮発性とは、常温でも空気中へ移りやすい性質を意味します。

果実の中には、エステル、アルデヒド、アルコール、ケトン、ラクトン、テルペンなど多くの揮発性成分が含まれています。これらが果実表面から空気中へ放出され、鼻の嗅覚受容体へ届くことで香りとして認識されます。

果実の香気成分をまとめた研究レビューでは、果実には非常に多種類の揮発性化合物が存在し、その組成は植物種や品種によって大きく異なることが示されています。

したがって、果実の香りは「香り成分」という一種類の物質ではなく、数多くの揮発性化合物が混ざった結果です。

同じ成分が多くても、香りへの寄与が大きいとは限らない

香気成分を理解するときに重要なのは、量だけではなく「においを感じる最低濃度」です。

ある成分が果実中に多量に含まれていても、人が感じるために高い濃度が必要なら、香り全体への影響は小さいことがあります。逆に、非常に少量しか含まれなくても、低濃度で強く感じる化合物は、その果実らしい香りを大きく左右します。

このため、分析で検出される揮発性化合物すべてが、同じ程度に果実の香りへ寄与するわけではありません。重要なのは、成分の濃度と嗅覚閾値の組み合わせです。

エステルは多くの果実で「フルーティーな香り」をつくる

果実の香りでよく知られている成分群の一つがエステルです。エステルには甘く、果物らしい香りをもつものが多くあります。

リンゴ、ナシ、バナナ、モモなどでは、複数の揮発性エステルが特徴的な香りに大きく寄与します。国内でも古くから、バナナ、イチゴ、メロンなどで果実細胞によるエステル生成が研究されています。

エステルは、主にアルコールと有機酸由来の成分が酵素反応によって結びつくことで形成されます。成熟が進むと、エステル合成に必要な前駆体や酵素活性が増え、香りが強くなる果実があります。

脂肪酸は多くの香気成分の材料になる

果実の細胞膜などを構成する脂質は、香気成分の重要な材料です。脂肪酸が分解・酸化されると、アルデヒド、アルコール、エステル、ラクトンなどがつくられます。

特にリノール酸やリノレン酸などの不飽和脂肪酸は、リポキシゲナーゼ経路などを通して、青葉のような香りをもつアルデヒドやアルコールへ変換されます。

さらに、それらのアルコールからエステルがつくられると、より熟した果実らしい甘い香りへ変化する場合があります。

つまり、未熟果で目立つ青臭い香りと、成熟果で目立つ甘い香りは、同じ脂質由来の代謝経路の異なる段階から生まれることがあります。

アミノ酸からも果実特有の香りがつくられる

果実の香りには、アミノ酸由来の揮発性化合物も含まれます。

ロイシン、イソロイシン、フェニルアラニンなどのアミノ酸は、脱アミノ化や脱炭酸など複数の反応を経て、アルデヒド、アルコール、エステルなどへ変換されます。

こうした経路からできる化合物の中には、果実の甘い香り、花のような香り、熟した香りをつくるものがあります。

どのアミノ酸代謝経路が強く働くかは、果実の種類や品種、成熟段階によって異なるため、香りの個性にもつながります。

テルペンは柑橘やブドウなどの特徴的な香りに関わる

テルペン類も果実香の重要な成分です。リモネン、リナロール、ピネンなどは、柑橘、ブドウ、イチゴなど多くの果実で香りに寄与します。

テルペンは植物のイソプレノイド代謝系から合成されます。果実の種類によって、どのテルペン合成酵素が働くかが異なるため、香りの組み合わせも変わります。

柑橘類では果皮にテルペンを多く含む油胞があり、皮をむいたり傷つけたりすると香りが強く広がります。

このように、香気成分の合成経路だけでなく、果実のどの組織に蓄えられているかも香りの感じ方を左右します。

カロテノイドが分解されて香り成分になることもある

果実の色に関わるカロテノイドは、香りの材料にもなります。

カロテノイドが酸化的に切断されると、β-イオノンやダマセノンなど、非常に低い濃度でも強く感じられる揮発性化合物が生じることがあります。

これらは花のような香りや甘い香りに寄与し、果実の特徴的な風味をつくります。

色素代謝と香り代謝は完全に別々ではなく、成熟中の代謝変化を通してつながっているのです。

成熟すると香気成分の合成経路が切り替わる

未熟果と成熟果で香りが違う大きな理由は、成熟に伴って遺伝子発現や酵素活性が変化するためです。

果実の成熟では、糖の蓄積、酸の減少、色素変化、軟化などと同時に、揮発性化合物の合成も調整されます。成熟前には少なかったエステルやテルペンなどが増え、未熟果に多かった青臭いアルデヒドの割合が低下する場合があります。

果実成熟の研究では、香気成分の生成は成熟プログラムの一部として、色や硬さの変化と協調して進むことが示されています。

エチレンは多くの果実で香りの形成を促す

トマト、リンゴ、バナナ、モモなどのクライマクテリック型果実では、成熟時にエチレンという植物ホルモンの生成が増えます。

エチレンは、軟化、色素変化、呼吸の増加などとともに、香気成分の合成に関わる遺伝子や酵素の働きも調整します。

そのため、エチレンの作用を抑えると果実の日持ちは延びても、香りの発達が弱くなる場合があります。

ただし、すべての果実でエチレンが同じ役割をもつわけではありません。イチゴ、ブドウ、サクランボなどの非クライマクテリック型果実では、成熟制御におけるエチレンの役割は比較的小さく、アブシジン酸など他のホルモンやシグナルが重要になります。

「熟すほど必ず香りが強くなる」とは限らない

成熟に伴って特徴的な香気成分が増える果実は多いですが、香りが単純に一直線に強くなるわけではありません。

ある成分は成熟初期に増え、その後減ることがあります。別の成分は過熟になると増えすぎて、発酵臭やアルコール臭のような香りへ変わることもあります。

果実香は、複数の成分の割合で決まるため、「総揮発性成分量が多い=おいしい香り」とは限りません。適切な成熟段階で、特徴的な成分が適切な比率で存在することが重要です。

果実を切ると香りが急に強くなることがある

果実を切ったりつぶしたりすると、香りが急に強くなることがあります。これは、細胞が壊れることで、それまで別々の区画に存在していた酵素と基質が接触するためです。

脂質分解酵素やリポキシゲナーゼが脂肪酸へ作用し、アルデヒドやアルコールなどが短時間で生成されることがあります。

また、糖と結合して無臭に近い状態で蓄えられていた香気前駆体が、酵素反応によって遊離し、香りを放つこともあります。

このため、「丸ごとの果実を嗅いだ香り」と「切って食べたときの香り」は、成分構成が同じとは限りません。

品種が違うと香りが違うのは、代謝経路の強さが違うため

同じ果物でも、品種によって香りが大きく違います。リンゴ、モモ、イチゴなどでは、品種ごとに特徴的な香気成分の組み合わせがあります。

これは、香気成分をつくる酵素遺伝子の種類や発現量が異なること、前駆体の量が違うこと、成熟速度や果実組織の構造が異なることなどが関係します。

近年の分子研究では、香気合成酵素だけでなく、それらの遺伝子を調節する転写因子やエピジェネティックな制御も、品種ごとの香りに関わることが示されています。

日照・温度・水分などの栽培環境も香りを変える

果実の香りは遺伝だけで決まりません。日照、温度、水分、栄養条件などによっても、揮発性成分の量や組成が変化します。

温度は酵素活性と成熟速度を変え、極端な高温では香気成分の合成が十分に進まないことがあります。光は果実内の代謝や前駆体形成へ影響し、水分状態も果実の成長と成分濃度を左右します。

そのため、同じ品種でも栽培地や収穫年によって香りが少し変わることがあります。

収穫後の保存温度も香りに影響する

果実は収穫後も生きた組織であり、呼吸や成熟が続きます。低温保存は老化や腐敗を遅らせるために重要ですが、低温が強すぎたり保存期間が長すぎたりすると、香気成分の合成が抑えられる場合があります。

一方、高温で保存すると成熟が急速に進み、香りが早く強くなる一方で、過熟や劣化も早まります。

また、酸素が少ない包装条件では、通常の呼吸が妨げられ、エタノールやアセトアルデヒドなどが増えて発酵臭が生じることがあります。

つまり、収穫時には香りが十分でなくても追熟によって発達する場合があり、逆に保存条件によって本来の香りが失われることもあります。

甘さと香りは別の感覚だが、食べたときは一緒に「風味」になる

甘さは主に舌の味覚で感じ、果実香は鼻の嗅覚で感じます。しかし、実際に果実を食べるときには、両方が統合されて「風味」として感じられます。

口の中で果実を噛むと、揮発性成分が口から鼻へ抜ける後鼻腔経路で嗅覚に届きます。このため、鼻をつまんで果実を食べると、甘さや酸味は感じても、その果実らしい風味が弱く感じられます。

香気成分の一部は、甘味や酸味の感じ方にも影響することがあります。果実のおいしさは、糖と酸だけでなく、香りとの組み合わせで決まります。

香りには、動物へ「食べごろ」を知らせる役割もある

果実の香りは、人間にとっての品質だけではありません。自然界では、成熟した果実を動物に見つけてもらうための信号として働く場合があります。

肉質果の多くは、種子が十分に成熟したころに、色、甘さ、軟らかさ、香りを同時に変化させます。これによって鳥や哺乳類に食べられやすくなり、種子が別の場所へ運ばれる可能性が高まります。

果実成熟の研究では、揮発性化合物の生成は、動物による果実利用と種子散布に関係する形質の一つと考えられています。

つまり香りは、果実内部の代謝の結果であると同時に、植物の繁殖戦略にもつながっています。

未熟果の香りが弱いことにも意味がある

未熟な果実では、種子がまだ十分に発達していないことがあります。その段階で強い甘さや香りを出して動物に食べられると、未成熟な種子が散布されてしまう可能性があります。

そこで多くの果実では、成熟に合わせて色・甘さ・香り・軟らかさがそろって変化します。

ただし、未熟果にも揮発性成分はあり、青臭い香りなどを感じることがあります。重要なのは、香りが「無い」から「有る」へ突然切り替わるのではなく、成熟によって成分の組み合わせが変わるという点です。

香りは果実の種類によって違う代謝経路が中心になる

果実ごとに特徴的な香りが違うのは、主に使う香気成分の組み合わせが異なるためです。

  • リンゴやバナナではエステル類が重要
  • モモではエステルやラクトン類が特徴的な甘い香りに寄与する
  • 柑橘類ではリモネンなどのテルペン類が重要
  • ブドウの一部ではモノテルペンが花のような香りに関わる
  • トマトでは脂肪酸、アミノ酸、カロテノイドなど複数経路由来の揮発性成分が香りをつくる

この違いが、果実ごとの「その果物らしさ」を生み出しています。

まとめ

果実に香りが生まれるのは、果実細胞の代謝によって、エステル、アルデヒド、アルコール、テルペン、ラクトンなど多数の揮発性有機化合物がつくられ、空気中へ放出されるからです。

これらの成分は、脂肪酸、アミノ酸、糖、カロテノイドなどを材料に、複数の酵素反応を通じて合成されます。成熟に伴って遺伝子発現や酵素活性、ホルモン制御が変わると、香気成分の種類と量も変化します。

さらに、品種、日照、温度、水分、収穫時期、保存条件、果実を切ったかどうかによっても香りは変わります。

果実の香りは、一つの香料成分ではなく、成熟に伴って変化する多数の揮発性化合物の組み合わせで生まれ、その果実らしい風味をつくるとともに、動物へ成熟を知らせる繁殖シグナルとしても機能し得るのです。

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